Insights · 2026.10.13 · 医療従事者向け

細胞の時計を巻き戻す、初の臨床試験:ER-100と日本の課題

OSK(山中因子のうち3因子)による部分的リプログラミングER-100の第1相試験(NCT07290244)の設計と、OAG 3例の途中報告を臨床医の視点で読み解きます。視野改善をどう解釈すべきか、そして発見の国・日本の課題も。

網膜の奥へと光の線がのびる、人の目の虹彩の接写イメージ
イメージ画像(AI生成)

「年をとった細胞を、若い状態に戻す」。SFのように聞こえるこの考え方が、ついに人での臨床試験の段階に入りました。米国のLife Biosciences社(ハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が共同創業)が開発するER-100です。2026年10月には、最初の途中報告も公表されました。

そして、この技術の出発点は日本にあります。

3行でまとめると

  • ER-100は、山中因子のうち3つ(OSK)を目の神経細胞で一時的に働かせ、細胞の「若い状態の記憶」を呼び戻そうとする治療法です。対象は緑内障などの視神経の病気で、2026年6月に最初の患者さんへの投与が発表されました。
  • 10月の途中報告では、3人の患者さんで大きな安全上の問題はなく、うち2人で視野の改善がみられました。ただし対照群のない3人のデータで、効果を結論づける段階ではありません。
  • 発見は日本、臨床への実装は米国の巨額の民間資金。この構図は、日本が基礎研究を臨床に橋渡しする力について、私たちに問いを投げかけています。

ER-100とは何か

山中因子から「3つ」だけを使う

2006年、京都大学の山中伸弥教授らは、マウスの線維芽細胞(皮膚などの結合組織の細胞)にわずか4つの遺伝子(Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc。頭文字からOSKM、通称「山中因子」)を入れるだけで、ES細胞(胚性幹細胞)のような多能性をもつ状態、つまりiPS細胞に戻せることを示しました。2012年のノーベル生理学・医学賞につながった発見です。

ER-100が使うのは、このうちc-Mycを除いた3つ(OSK)です。c-Mycはがんに関わる遺伝子として知られているため、外しています。

「完全に戻す」のではなく「若返らせる」

ここが大事なポイントです。iPS細胞のように細胞を最初の状態まで戻してしまうと、その細胞は本来の役割(目の神経なら、光の情報を脳へ送ること)を失います。ER-100がめざすのは、細胞の種類はそのままに、遺伝子の使い方(エピジェネティクス)だけを若い頃のパターンに近づけることです。

試験のしくみ

  • 対象:開放隅角緑内障と、非動脈炎性前部虚血性視神経症(NAION)。どちらも、目の奥で光の情報を脳へ送る「網膜神経節細胞」が傷つき、視野が欠けていく病気です。
  • 方法:OSKの遺伝子を運ぶウイルスベクター(AAV2)を目の中に1回だけ注射し、抗菌薬のドキシサイクリンを飲んでいる間だけOSKが働く「スイッチ」付きの設計です(途中報告では8週間)。
  • 経緯:2026年1月に米国FDAがIND(臨床試験開始の申請)について試験の開始を認め、6月に最初の患者さんへの投与が公表されました。会社は、部分的なエピジェネティック・リプログラミングによる若返り治療として、人での臨床試験に到達した初めてのものとしています。

なお、日本で目の病気と聞くと加齢黄斑変性を思い浮かべる方も多いかもしれません。2014年、理化学研究所などのチームが世界で初めてiPS細胞からつくった網膜の細胞を患者さんに移植したのが、加齢黄斑変性でした。ER-100はそれとは別のアプローチで、細胞を移植するのではなく、患者さん自身の細胞をその場で若返らせることをめざしています。

途中報告から何がわかったか

2026年10月8日に公表された途中報告の内容は、次のとおりです。

  • 対象:開放隅角緑内障の患者さん3人(最も低い用量)
  • 安全性:56日目まで3人とも忍容性は良好で、用量制限毒性、特に注目すべき有害事象、重篤な有害事象の報告はなし。報告された有害事象は、注射の手技、炎症を抑えるステロイド、もともとの病気によるものとされています。独立した安全性モニタリング委員会は、次の用量へ進むことを推奨しました。
  • 視野:3人のうち2人で、56日目の視野検査(ハンフリー視野計)で、測定点の28%以上で4 dBを超える改善がみられたと報告されています。会社はこれを「予備的な改善のシグナル」と位置づけています。

冷静に読むための3つの注意

  1. 3人だけで、比較する対照群がない:誰がどの治療を受けたかを全員が知っている試験(オープンラベル)です。
  2. 視野検査はくり返すと成績が上がりやすい:検査に慣れることでも数値は動きます。本当の効果かどうかは、より大きく、比較のある試験で確かめる必要があります。
  3. 企業の発表で、まだ論文として審査されていない:第1相試験の主な目的は安全性と忍容性の確認で、会社自身も視野の所見を予備的なものと位置づけています。

臨床医向け:試験デザインの要点

ClinicalTrials.gov(NCT07290244)の登録内容と、2026年10月8日の会社発表(用量・ステロイド併用)から、評価に必要な情報をまとめます。

項目 内容
デザイン 第1相、単回投与、オープンラベル、非対照(比較はベースラインとのみ)
症例数 最大18例(OAG 12例の用量漸増 → NAION 6例の用量拡大)
安全性の手順 各用量の最初の1例(sentinel)を28日観察し、独立DSMBの判断後に追加2例
主な選択基準(OAG) 40–85歳、IOP 30 mmHg未満、HFA MD −6〜−20 dB、矯正視力20/80以上
主な選択基準(NAION) 発症14日以内、乳頭浮腫あり、MD −3.0 dBより悪い、RAPDあり(片眼例)
主な除外基準 視神経炎・再発性ぶどう膜炎の既往、5年以内の悪性腫瘍、HbA1c 7%超、AAV遺伝子治療歴、免疫不全
投与 AAV2ベクターの硝子体内単回投与。経口ドキシサイクリン56日間でOSK発現を誘導。AAVへの免疫反応に備え経口プレドニゾロンを漸減投与
用量 第1用量 2×1011 vg。DSMBは第2用量 6×1011 vgへの漸増を推奨
主要評価項目 安全性(TEAE、DLT、血液・尿検査、IOP、BCVA、HFA、pERG、qCSF、OCTのGCL・RNFL厚、細隙灯所見)。Day 56・Day 112
副次評価項目 同じ視機能指標を有効性として評価。AAV2中和抗体、ELISpotによる細胞性免疫、qPCRによるベクター排出・房水中分布
視野検査 OAGはSITA Standard 24-2、NAIONはサイズV視標
追跡期間 5年(6か月までに10回来院、以後年1回)

臨床医向け:視野改善をどう読むか

途中報告の「測定点の28%以上で4 dBを超える改善」は、MDではなく点ごとの変化による指標です。次の点を踏まえて解釈する必要があります。

  • 中等度以上の視野障害では、点ごとの再現性が低い:緑内障眼の再検査データでは、SITA Standardでも感度が低い点ほど再検査時のばらつき(再検査の90%範囲)が広がることが示されており、4 dB程度の変化は測定誤差の範囲に入りえます(Artes PH, et al. 2002)。選択基準のMD −6〜−20 dBは、まさにこの領域です。
  • 視野のばらつきは偏心度によって大きく異なる:中間周辺部ほど検査間のばらつきが大きいことが知られています(Heijl A, et al. 1987)。どの部位の点が改善したのかが示されていません。
  • 学習効果と平均への回帰:ベースラインの検査回数や、組み入れ時に悪い値を示した眼が選ばれた可能性が開示されていません。
  • ドキシサイクリンとステロイドの影響を分離できない:非対照試験のため、併用薬そのものの影響と、OSKによる効果を区別できません。
  • 構造指標との一致:OCTのGCL・RNFL厚やpERG振幅など、構造・電気生理の指標が視野の変化と同じ方向に動いたかは、今回の発表では示されていません。今後の論文化で最も注目すべき点です。

それでも、人の目の中で山中因子由来の3因子を働かせ、少なくとも短期的に大きな安全上の問題が出なかったこと自体は、この分野にとって大きな一歩です。

なぜ「目」から始めるのか

マウスでの土台となる研究は、2020年にシンクレア教授らが『Nature』に発表しました。緑内障のモデルマウスや高齢のマウスの網膜神経節細胞でOSKを働かせると、遺伝子のメチル化(エピジェネティックな目印)のパターンが若い頃に近づき、視力が回復したという報告です。この結果は、「老化とは、細胞が若い頃の遺伝子の使い方を見失っていくことではないか」という仮説を支えるものとして注目されました。

目は、薬を局所に届けやすく、体の他の部分への影響を抑えやすい臓器です。視野や視力という測れる指標もあります。人で最初に試す場として、理にかなった選択といえます。

日本人研究者が開いた扉と、見つけた落とし穴

この分野の歴史を振り返ると、日本の研究者の存在感は大きなものです。

  • 2006年:山中教授らがOSKMでiPS細胞をつくる(すべての出発点)
  • 2014年:理化学研究所の高橋政代氏(当時)らのチームが、iPS細胞由来の網膜細胞を加齢黄斑変性の患者さんに移植(2017年に『NEJM』で報告)
  • 2014年:当時、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)に所属していた山田泰広氏らが、マウスの体内で山中因子を中途半端に働かせて止めると、がんが生じることを『Cell』で報告
  • 2016年:米ソーク研究所のチームが、OSKMを短期間・周期的に働かせる部分的リプログラミングで、早老症モデルマウスの寿命が延びることを報告

特に2014年の山田氏らの研究は、「若返らせすぎ」や「止め方」を誤ると危険であることを示した、重要な警告でした。ER-100が因子を3つに絞り、目の中だけに届け、薬でオン・オフできる設計にしているのは、こうした積み重ねの上にあります。

「時間を変える」時代は来るのか

現時点で、米国FDAは老化そのものを治療の対象となる病気(適応症)として扱っていません。そのためER-100も「若返り薬」ではなく、緑内障や視神経症の治療薬として試験されています。

それでも、もしこの方法で失われた機能の一部が戻ることが確かめられれば、老化を「一方通行で積み重なるもの」ではなく、ある程度は書き戻せる情報の乱れとして捉える見方が、現実の医療に入ってくる可能性があります。体の時間の流れ方そのものに、医療が手を入れられる時代の入り口かもしれません。

ただし、今わかっているのは「3人で、8週間、大きな問題がなかった」ということまでです。期待と事実を分けて見ていくことが、この分野を健全に育てることにつながります。

発見の国・日本が抱える課題

ここで、もう一つの事実に目を向ける必要があります。山中因子は日本で生まれました。しかし、それを「体内で若返らせる治療」として最初に人へ届けたのは、米国のベンチャー企業でした。

背景には、研究を臨床へ進めるためのお金の流れ方の違いがあります。

  • 米国:2022年1月、細胞の若返りを研究するAltos Labsが約30億ドル(当時のレートで3,000億円以上)の資金とともに設立されました。山中教授は無報酬の上級科学顧問(senior scientific advisor)として、同社の日本での研究活動を統括する立場で参加しました。
  • 日本:2009年に京都大学の「iPS細胞研究基金」が創設され、山中教授はマラソンを走って寄付を募ってきました(2012年3月の京都マラソンでは1,000万円以上)。2018年1月に公開されたインタビューでは、「私の仕事の半分は寄付活動に当てている」と語っています。2019年には、iPS細胞の備蓄事業への国の支援を打ち切る方針が内閣官房の担当者から伝えられ、山中教授が国会議員に支援を訴える事態にもなりました(その後、政府は支援の継続を決めています)。

ノーベル賞を受賞した研究者が、仕事の半分を寄付集めに充てなければならない。これは、一人の研究者の努力の問題ではなく、基礎研究の成果を臨床へ運ぶしくみの問題です。

  • 大学の発見を事業にするための、リスクを取れる民間資金
  • 研究者が研究に集中できる、安定した雇用と予算
  • 企業と大学が早い段階から組む産学連携
  • 寄付が研究を支えるという文化

日本はどれも、米国に比べてまだ弱いといわざるをえません。

基礎と臨床の架け橋として

イームスは「基礎と臨床の架け橋」を掲げています。日本には、世界を変える発見を生み出す力があります。足りないのは、その発見を患者さんや社会に届くかたちへ翻訳し、資金と人と現場をつなぐ力です。

ER-100の試験は、この先、より高い用量と、より多くの患者さんで続きます。私たちは、その結果を冷静に見守りながら、日本の研究が日本で、そして世界で花開くための橋渡しに、自分たちの立場から関わっていきたいと考えています。

参考文献

  1. Life Biosciences. Life Biosciences Announces FDA Clearance of IND Application for ER-100 in Optic Neuropathies. 2026年1月28日.
  2. Life Biosciences. Life Biosciences Announces First Patient Dosed in Phase 1 Trial of ER-100 for Optic Neuropathies. 2026年6月9日.
  3. Life Biosciences. Life Biosciences Announces First-in-Human Data from Ongoing Phase 1 Trial Evaluating ER-100 in Optic Neuropathies. 2026年10月8日.
  4. ClinicalTrials.gov. NCT07290244.
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  12. 京都大学iPS細胞研究所(CiRA). Shinya Yamanaka to serve as senior scientific advisor to Altos Labs. 2022年1月19日.
  13. ニュースイッチ(日刊工業新聞). ノーベル賞受賞の山中氏「私の仕事の半分は寄付活動に当てている」. 2018年1月1日.
  14. 時事通信. iPS備蓄、支援打ち切り伝達 内閣官房担当者、山中教授に. 2019年12月1日.
  15. ニュースイッチ(日刊工業新聞). 「iPS細胞」 支援打ち切り報道から一転、継続のなぜ?. 2019年12月12日.
  16. Forbes JAPAN. iPS細胞・山中教授を助けろ! 京都府と京都市が乗り出した「支援」の中身. 2020年11月20日.

執筆:藤井祐介(Ph.D. 微生物学・免疫学/東京大学大学院医学系研究科 客員研究員)。本記事は研究知見の一般的な解説であり、特定の疾病の診断・治療・予防を目的とするものではありません。また、特定の製品の効能効果を示すものではありません。健康上の判断は医師にご相談ください。

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